新聞経営者。大正9(1920)年『南大阪新聞』(のちの大阪新聞)を創刊し、11年社長となる。昭和8(1933)年『日本工業新聞』を創刊。14年社長に就任。時事新報、東京日日新聞社等の重役も兼任。17年『日本工業新聞』を含む西日本の産業経済関係紙を統合し、産業経済新聞社を創立、代表取締役会長に就任。戦後公職追放解除後、25~30年まで同社長を務める。32年日本電波塔を設立し、社長として東京タワー建設に関与。関西テレビ、大阪放送の開局にも関わる。28年から2回参議院議員に当選。