町田 まちだ 忠治 ちゅうじ

生没年
文久3年3月30日 〜 昭和21年11月12日
1863年5月17日 〜 1946年11月12日)
出身地
秋田県
職業・身分
政治家 実業家 ジャーナリスト
別称
幾堂

解説

父は秋田藩士。明治20(1887)年帝国大学法科大学卒。法制局、朝野新聞、郵便報知新聞を経て、28年東洋経済新報社を創立。30年日本銀行に入り、のち山口銀行総理事、報知新聞社長となる。45年衆議院議員に当選、以後当選10回。立憲国民党、立憲同志会、憲政会、立憲民政党に所属し、昭和10(1935)年民政党総裁。第1次・第2次若槻内閣及び浜口内閣の農相、岡田内閣商工相・蔵相、第1次・第2次近衛内閣、平沼内閣の参議、小磯内閣の国務相を務める。20年日本進歩党初代総裁になるが、21年公職追放。

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町田 まちだ 忠治 ちゅうじ

町田忠治の肖像
  • 町田忠治の肖像1枚目
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