明治35(1902)年東京帝大法科大学卒。東京控訴院検事、大審院判事、司法省行刑局長などを経て、昭和11(1936)年検事総長、14年大審院長に就任。この間、刑法改正原案起草委員会主査委員、刑法並監獄法改正委員会委員として、刑法改正案作成の中心的役割を担う。退官後、枢密顧問官に就任するが、21年公職追放。