解説
彫刻家。10歳の時に生家の渡辺家から朝倉家の養子となる。明治40(1907)年東京美術学校(後の東京藝術大学)卒業、翌年「闇」が第2回文展の彫刻の部で二等賞を受賞。以後受賞を重ねる。自然主義的な写実描写で、官展(政府主催の展覧会)系の彫刻家として活躍した。大正10(1921)年からは母校の教授を務め、朝倉彫塑塾を主宰するなど後進の育成にも尽力した。帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員を歴任し、昭和23(1948)年には文化勲章を受章。代表作に「墓守」など。
関連資料
著作
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