解説
詩人。評論家。大正11(1922)年東京帝国大学法学部法律学科に入学。在学中に、飯島正、大宅壮一、小松清らと第7次『新思潮』を創刊。14年に卒業後は日本共産党に入党するが、昭和3(1928)年三・一五事件で検挙され、獄中で転向。以後は「国民文学論の根本問題」(1937)、『岡倉天心論攷』(1939)などの評論を発表する。16年に陸軍宣伝班員としてジャワに派遣され、約10か月滞在。戦後は北海道に滞在した後、30年立正大学教授に就任。39年に読売文学賞を受賞した『寒色』(1963)をはじめとして、多数の詩集を刊行した。
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