解説
経済学者、統計学者。大正11(1922)年に東京帝大経済学部を卒業し、同大の助手になる。14年から3年間ドイツ留学。昭和13(1938)年のいわゆる人民戦線事件では治安維持法違反で起訴され、助教授を休職処分になる(のちに無罪)。戦時中は、陸軍省戦争経済研究斑(秋丸機関)で英米経済の研究を行った。戦後は東京大学経済学部に教授として復職し、吉田茂内閣の経済政策ブレーンとして「傾斜生産方式」を唱えるなど、戦後復興期の経済政策立案に寄与した。56年文化功労者。著作に『世界経済図説』などがある。
関連資料
著作
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