長野県高等師範学校卒。長野・大阪・鳥取の各尋常師範学校の教諭を歴任。被差別階層の出生や国家主義的な当時の教育体制に対して批判的だったことを理由に、いわれなき差別や迫害を受けながらも自由と平等を重んじる己の教育信念を貫き続けた。明治34(1901)年兵庫県柏原(かいばら)中学校の第2代校長に就任するも翌年、母の看病のために帰省中、腸チフスにかかり34歳の若さで逝去した。島崎藤村の小説『破戒』の主人公の瀬川丑松(うしまつ)、もしくはその師である猪子(いのこ)蓮太郎のモデルといわれている。