大正8(1919)年東京帝大法律科卒。東北帝大、法政大教授等を歴任。昭和20(1945)年日本社会党結成に加わり、翌年衆議院議員に当選、22年片山内閣の司法相となる。23年法務庁新設に伴い、初代法務総裁に就任、続く芦田内閣でも留任。また、臨時法制調査会委員、検察官適格審査委員会委員、裁判官弾劾裁判所裁判員などに就任する一方、27年より専修大学学長。35年民主社会党結成に参加し、同党統制委員長、国会議員団長となる。法学博士。