大正11(1922)年東京帝大法学部卒業、日本銀行に入行。昭和14(1939)年上海華興(かこう)商業銀行に転じ、大東亜省参事官を経て、終戦時は在上海大使館参事官として日本人の引き揚げに尽力。戦後は、池貝鉄工、丸善石油の経営再建に従事し、27年日本ヘリコプター輸送(後の全日本空輸)副社長就任。36年から全日本空輸社長を務める。一貫して中国に深い関心を寄せ、日中綜合貿易連絡協議会会長、日中覚書貿易事務所代表などを務め、日中貿易推進、日中国交正常化に貢献した。