日本史学者、地理学者。帝大文科大学史学科卒。明治34(1901)年文部省に入り、審査官として国定教科書の編纂・検定を行ったが、その中の南北朝並立の記述が問題とされ、責任をとって退官。その後、雑誌に多数の論文を発表し、法隆寺再建・非再建論争の中で再建論を主張(後の発掘調査で再建論が正しいと証明された)。京都帝大教授、東北帝大講師などを歴任。考古学や民俗学の資料を幅広く活用し、古代史研究の進展に寄与した。主著に『国史之教育』『法隆寺論攷』などがある。
『』