解説
明治33(1900)年東京帝大文科大学哲学科卒。明治38(1905)年に小田切良太郎と共同で、『エンチクロペディー』の一部を翻訳、『哲学雑誌』に「ヘーゲル氏哲学体系」として掲載し、日本における本格的なヘーゲル研究の先駆けとなった。大正8(1919)年学習院教授となり、東京帝大、東京高等師範学校、東京商科大学などでも哲学を講じた。昭和7(1932)年、国体精神の教化を目的とする国民精神文化研究所の設立とともに所員となり戦時体制下の日本主義を指導したが、戦後、公職追放となる。著書に『認識論』、『哲学概論』、『三願転入の論理』などがある。
関連資料
著作
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