大正15(1926)年東京帝大美学科に入学、在学中には新人会に参加し、マルクス主義に傾倒。昭和3(1928)年に大学中退。同年の三・一五事件後に治安維持法違反容疑で検挙されたが、転向して釈放。9年に『転形期の文学』を刊行、その後、保田与重郎らと『日本浪曼派』を創刊し、日本の古典や古美術などの世界に関心を深めていった。戦後は『我が精神の遍歴』などで活躍し、宗教的観点からの評論で多くの読者に親しまれた。40年に『日本人の精神史研究』で菊池寛賞受賞、芸術院会員となった。