歴史地理学者、文学者。ほぼ独学で小学校教員となり、明治25(1892)年読売新聞社入社、「落後生」の筆名で史論を展開した。日清戦争に従軍し、この頃から『大日本地名辞書』を起稿。34(1901)年東京専門学校(後の早稲田大学)文学部史学科講師となる。40(1907)年に教授となり、『大日本地名辞書』(全11巻)を完成させた。また日本音楽史にも精通し、「世阿弥十六部集」を校訂刊行し近代能楽研究に寄与した。晩年は宴曲(早歌)研究に努めた。
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