近代日本人の肖像

光永 みつなが 星郎 ほしろう

生没年
慶応2年7月26年 〜 昭和20年2月20日
1866年9月4日 〜 1945年2月20日)
出身地
熊本県
職業・身分
実業家 政治家
別称
光永星郎(みつながほしお)、喜一(幼名)、八火(号)

解説

日本電報通信社(後の電通)の創業者。貴族院議員。明治18(1885)年上京して政治家を目指すも、20年保安条例違反により東京退去処分となる。22年『大阪公論』、その後『大阪朝日新聞』、『めざまし新聞』などの記者となり、日清戦争にも従軍。34年広告代理業の日本広告を創設し、ニュース通信業の電報通信社を併設する。39年電報通信社を株式会社日本電報通信社(後の電通)と改組し、翌年日本広告と合併、大正12年(1923)年、正式に初代社長となる。昭和8(1933)年貴族院議員に勅選。

関連資料

自筆資料

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光永 みつなが 星郎 ほしろう

光永星郎の肖像