解説
洋画家。文久2(1862)年、洋書調所画学局にはいり、川上冬崖(とうがい)のもとで油彩画を学び、またワーグマンやショイヤー夫人の実技指導もうける。明治6(1873)年ウィーン万国博覧会に「富嶽大図」を出品、同年日本橋に画塾天絵楼(てんかいろう)をひらき、原田直次郎、川端玉章らを指導。10(1877)年の第1回内国勧業博覧会で三等花紋章受賞、翌年にはパリ万国博覧会に油彩画を出品した。また元老院の委嘱により明治天皇の肖像画を制作した。美術館設立運動や美術雑誌『臥遊席珍』の刊行など、油彩画の普及・発展に努めた。
関連資料