父は大山林地主土倉庄右衛門。明治2(1869)年吉野郡物産材木総取締役になる。3年水陸海路御用掛となり、吉野川の水路改修工事に尽力。6年には東熊野街道の開設に着手、16年に完成。吉野郡内で山林経営に従事するとともに、20年から30年代にかけて、群馬県伊香保、兵庫県但馬地方、台湾などの造林も手掛ける。自由民権運動の後援者で、15年創刊の『日本立憲政党新聞』の最大出資者、自由党の板垣退助の洋行費を出したことで知られる。