父は金沢藩士。明治26(1893)年帝国大学法科大学法律科卒。同年内務省に入り、県治局府県課長、内務大臣秘書官及び地方局府県課長等を経て、41年内務省神社局長、大正4(1915)年4月明治神宮造営局長を兼任。同年7月第21代東京府知事に就任し、7年の米騒動の時期には、公設廉売市場及び簡易食堂の開設など経済保護事業の促進に尽力した。法学博士。