父は地主。明治5(1872)年浜松県第56区戸長、同年天竜川御普請専務、6年川通総取締を浜松県より命じられる。7年天竜川通堤防会社(翌年「治河協力社」と改称)を設立し、私財を投じて天竜川の治水工事に尽力する。9年静岡県会議員。18年天竜川下流域各村と紛議が生じたことなどから治河協力社を解散し、治水事業から撤退する。磐田郡の官有林を手始めに以後県内各地で植林事業を手掛ける。37年金原疎水財団を設立。また、受刑者の更生保護にも関与し、21年静岡県出獄人保護会社を設立した。