明治16(1883)年13歳で家業の薬種商を継ぐ。23年帝国大学薬学科選科卒。薬用植物学、生薬学専攻。28年豊橋町会議員、31年豊橋町長、32年愛知県会議員の後、40年初代豊橋市長に就任。45年衆議院議員当選。立憲国民党、革新倶楽部、立憲政友会を経て、戦後は日本自由党に所属。昭和2(1927)年田中義一内閣において大蔵政務次官に就任。この間、東京化学工業、豊橋電気、矢作水力などの取締役も務めた。