三島通庸の長男。私塾攻玉社、山形師範学校、駒場農学校を経て、2度の渡米でマサチューセッツ農学校、コーネル大学大学院で学び、帰国後は農商務省、逓信省につとめる。その間の明治21(1888)年父通庸の死により子爵を継ぐ。30年貴族院議員となり、子爵議員を中心とした有力会派研究会に所属。39年横浜正金銀行に入り、41年取締役、44年頭取となる。大正2(1913)年日本銀行総裁に就任し、8年在職中に死去。