解説
慶応義塾卒業後、森村組に入社したが、明治24(1891)年藤田組に移り、小坂鉱山の再建に貢献。38年に独立し、茨城県の赤沢鉱山を買収して日立鉱山を創業。大正元(1912)年久原鉱業を設立し、機械化による増産に成功。3年には、足尾に次ぐ全国第2位の生産量となった。第一次世界大戦中の好景気で、石油、海運、造船などの分野にも進出したが、戦後恐慌の打撃を受けて経営不振に陥り、昭和3(1928)年義兄鮎川義介に経営再建を委ねて政界に進出。同年立憲政友会から衆議院議員に当選し、田中義一内閣の逓相。2・26事件に際して検挙されたが無罪。14年分裂後の立憲政友会総裁、内閣参議等を歴任。戦後公職追放。解除後、衆議院議員に当選し、日中・日ソ復興に尽力した。
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