父は仙台藩士。宮城英語学校、東京神田の茂松法学舎で学び、明治13(1880)年代言人試験に合格し仙台で開業。自由民権運動に従事する。宮城県会議員、仙台市会議員・議長を経て、25年衆議院議員(当選13回)。以後、進歩党から立憲民政党まで憲政会系政党に籍を置き、大正15(1926)年第1次若槻内閣商工相、昭和5(1930)年衆議院議長となる。6年貴族院議員に勅選、9年枢密顧問官。