慶應4(1868)年2月東山道先鋒総督参謀を任命され、江戸攻撃の指揮を務め、また会津攻略に参加。これらの功により明治2(1869)年永世禄高千石を下賜される。鹿児島藩権大参事、左院議官、教部省御用掛等を経て、7年左院議長、参議、10年修史館総裁、宮内省御用掛。17年伯爵。19年に宮中顧問官。