父は姫路藩士。尊攘運動に従事し5年間在獄。明治2(1869年)年白石県権知事、4年盤前県権令等を経て、内務省会計局長、農商務省会計局長、同山林局長を務める。21年鳥取県知事。24年12月から大正12(1923)年7月まで貴族院議員(勅選)。また、帝国保険、東京火災保険を創立し、社長となる。12年7月枢密顧問官就任。