父は掛川藩士。明治7(1874)年慶応義塾卒業。同塾教師を経て、15年東京市議、『時事新報』記者。17年に外務省へ入省し、天津勤務を経て、書記官となる。外務省退官後25年『朝野新聞』社長兼主筆となる。以後三井銀行理事、監査役等に就任、三井系の会社の重役を兼任する。大正9(1920)年から13年まで衆議院議員。