東京葭町の芸者となり、明治24(1891)年に俳優の川上音二郎と結婚。音二郎とともに欧米に巡業、「マダム貞奴」として人気を博し、帰国後は音二郎の正劇(せいげき)運動の看板女優として活躍した。また、41年帝国女優養成所を設立。音二郎の没後大正6(1917)年に引退するが、13年には川上児童楽劇団を発足させ、児童劇の普及にも努めた。昭和8(1933)年岐阜県鵜沼に貞照寺を建立入山。