天理教教祖。庄屋の家に生まれ、13歳で同じ庄屋の中山善兵衛に嫁ぐ。天保9(1838)年神の啓示を受けたとされ、安産や病気なおしなどを通して信仰を集める。明治2(1869)年から教義の「おふでさき」を書き始め、官憲の取り締まりが強まる中でも信仰活動を行った。