明治25(1892)年、当時のオーストリア駐日代理公使ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚。東京府に届け出られた、初の正式な国際結婚といわれる。29(1896)年渡欧、39(1906)年夫の急死後は7人の子の後見人としてウイーン社交界で活躍。息子リヒャルトが汎ヨーロッパ主義を提唱し、「EEC(ヨーロッパ経済共同体)の母」と呼ばれている。7月7日生まれの説もある。