生命保険事業の先駆者。保険医を経てドイツに留学、保険制度を学び帰国。農商務省に入り保険業法の制定に尽力。退官後の明治35(1902)年第一生命保険相互会社を創立、大正4(1915)年社長となる。13年東京横浜電鉄株式会社(後の東京急行電鉄)の社長も務める。保険の分野だけでなく、統計、公衆衛生、社会教育など各方面にも功績がある。