戯作者、ジャーナリスト。魚屋である父親の影響で幼少より戯作好きで、花笠文京に入門し『安政見聞誌』(1855)、『滑稽富士詣』(1860)で戯作者としての地位を得る。明治に入り十辺舎一九の作品を下敷きに『西洋道中膝栗毛』(1870~76)を著し話題作となった。また明治7(1874)年から『横浜毎日新聞』の記者となり、8(1875)年には『仮名読新聞』等多くの新聞を創刊。戯作を通して庶民レベルの文明開化の様相を表現、明治の通俗文壇に君臨した。
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