解説
哲学者。明治37(1904)年東京帝国大学入学、当初は数学科、後に哲学科に在籍した。大正2(1913)年東北帝国大学講師、8(1919)年京都帝国大学助教授、11(1922)年から13(1924)年までドイツに留学した。博士号の成果『数理哲学研究』(1925)を発表後、昭和2(1927)年京都帝大教授となる。留学後は科学論からドイツ観念論に研究を移し、マルクス主義に批判的に対決しつつ『ヘーゲル哲学と弁証法』(1932)で「絶対弁証法」を主張。また9(1925)年には『社会存在の論理』で「種の論理」を提唱した。戦後は『懺悔道としての哲学』(1946)を発表し、従来の立場を自己批判した。25(1950)年文化勲章受章。
関連資料
著作
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