解説
哲学者。大正6(1917)年京都帝国大学入学、11(1922)年から14(1924)年まで欧州留学。翌年『パスカルに於ける人間の研究』を発表、独自の思想を示す。昭和2(1927)年法政大学教授となり、『唯物史観と現代の意識』(1928)等のマルクス主義研究で注目される。5(1930)年日本共産党への資金提供のために検挙され教職を退く。以後、ジャーナリズムの場でファシズムに抗する言論活動を行う。13(1938)年近衛文麿の政策集団「昭和研究会」に参加する一方、これまでの探求を『構想力の論理』(1939-46)に集約。20(1945)年共産主義者の友人を匿い治安維持法違反で再び投獄され、終戦直後に獄死。
関連資料
著作
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