物理学者。昭和4(1929)年京都帝国大学理学部物理学科を卒業後、大阪帝国大学理学部講師、同助教授等を経て、14年母校の教授に就任。中間子の存在を予測した業績が評価され、24年日本人として初のノーベル物理学賞を受賞。23年からプリンストン高等研究所やコロンビア大学で教鞭をとった後、28年新設された京都大学基礎物理学研究所の所長となった。32年ラッセル・アインシュタイン宣言に署名し、パグウォッシュ会議に出席する等、平和運動にも積極的に参加した。18年文化勲章受章。