教育家、官僚、政治家。明治維新後、高遠藩の貢進生として大学南校に入学し、文部省に出仕。明治8(1875)年アメリカに留学、教育学を学んで帰国し、12年に東京師範学校校長となる。師範教育、音楽教育、特殊教育、体操教育の創始・発展に貢献し、教科書編纂にも尽力した。24年官を辞し、民間教育運動の中心として活躍。また台湾で植民地教育の創始にあたり、晩年は吃音矯正事業を行った。貴族院議員。