画家。嘉永6(1853)年谷文晁の門人・枚田水石に学び、石芳と号した。その後渡辺崋山に私淑、書を小山霞外、小山悟岡に学ぶ。慶応元(1865)年、母方の親戚である奥原家の養女となり、上京、晴湖と号し画房を墨吐煙雲楼と称す。明治7(1874)年、儒者・鷲津毅堂、画家・川上冬崖らと下谷の文人グループである半閑社を結成。門人は300人を超え、豪快な気風を持つ女傑として知られた。南画の衰退の時流に伴い、24年中央画壇を去り、埼玉県熊谷に隠棲し、謹直な着色画を描いた。