洋画家、南画家。近代洋画の先駆者。18歳ごろ江戸に出て上野東叡院に仕えるも、四条派の大西椿年に会い画家を志す。安政3(1856)年蕃書調所に出仕し、画学局の筆頭となった。明治元(1868)年沼津兵学校の絵図方として招かれ、図画の指導を担当。のち大学南校の図画御用掛に任じられた。4年文部省、翌5年から陸軍省に出仕し測量地図製作にあたった。また下谷に画塾である聴香読画館を開いて西洋画を指導し、門下から小山正太郎、高橋由一らが輩出した。著書に『西画指南』等。
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