陽明学者。備中新見(岡山県)藩儒の丸川松隠に学び、上洛後松山藩校(岡山県)有終館会頭となる。天保5(1834)年江戸で佐藤一斎に師事。嘉永2(1849)年抜擢されて藩財政の改革を行う。学者として名声が高く、久坂玄瑞、河井継之助らが来遊従学。文久2(1862)年藩主板倉勝静が幕府の老中になったことに伴い幕政顧問。慶応4(1868)年岡山に長瀬塾を開く。明治維新後は教育活動に努め、明治6(1873)年再興した岡山県閑谷学校に出講した。