第14代将軍徳川家茂夫人、仁孝天皇第8皇女。嘉永4(1851)年6歳で有栖川宮熾仁親王と婚約するが、文久2(1862)年公武合体のため徳川家茂に降嫁。慶応2(1866)年家茂の死後、仏門に入り静寛院宮と号す。戊辰戦争の際、江戸攻撃の中止や徳川家の存続に陰から尽力した。明治10(1877)年脚気治療で箱根に滞在中に病没。