明治製糖、明治製菓の創業者の1人。東京工業学校(後の東京工業大学)の助教授となり、明治32(1899)年から33年にかけて、糖業、石油業の研究のため欧米に留学。帰国後教授となるが、37年台湾総督府臨時台湾糖務局技師を兼務、39年明治製糖創設に参加、専務となる。大正4(1915)年から昭和11(1936)年社長、大正12年から昭和17年、明治製菓会長を兼務。この間の昭和7(1932)年、脱税疑惑事件・明糖事件が起こった。