中野 なかの 重治 しげはる

生没年
明治35年1月25日 〜 昭和54年8月24日
1902年1月25日 〜 1979年8月24日)
出身地
福井県
職業・身分
文学者 社会運動家 政治家

解説

詩人、評論家、小説家。大正13(1924)年東京帝国大学入学後、中平解らと『裸像』、堀辰雄・窪川鶴次郎らと『驢馬』を創刊。日本プロレタリア芸術連盟の加入後、昭和3(1928)年全日本無産者芸術連盟を結成、蔵原惟人と芸術大衆化論争を展開、『芸術に関する走り書的覚え書』(1929)にまとめた。6(1931)年日本共産党に入党、7(1932)年に検挙投獄され2年後に出獄。戦時中は転向者として『村の家』(1935)等を発表。戦後は日本共産党に再入党、参議院議員(1947-50)となるも、39(1964)年に同党を除名。

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中野 なかの 重治 しげはる

中野重治の肖像
  • 中野重治の肖像1枚目
  • 中野重治の肖像2枚目
  • 中野重治の肖像3枚目
出典:

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