解説
小説家、評論家、詩人。昭和元(1926)年詩集『雪明りの路』を自費出版。3(1928)年東京商科大学(後の一橋大学)に入学。小説と評論に転じ『生物祭』(1932)等で文壇に登場、その後は20世紀文学の手法を利用して作品を発表した。戦後には小説『鳴海仙吉』(1946-48)を発表、25(1950)年にD・H・ローレンス『チャタレイ夫人の恋人』の自身の翻訳が猥褻文書の疑いで起訴される。その後は『火の鳥』(1949-53)等の長編を発表する一方で、大著『日本文壇史』(1952-69)を完成させた。
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