小説家。大正13(1924)年東京帝大入学。14(1925)年には、中谷孝雄、外村繁らと同人雑誌『青空』を創刊し、『檸檬』『城のある町にて』等を発表する。翌年肋膜炎により伊豆の湯ヶ島に転地療養するも病状が悪化し大阪に帰郷。昭和7(1932)年に『中央公論』で『のんきな患者』を発表後、31歳で肺結核により病没。作品は死後、評価が高まった。
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