小説家、評論家。東京外国語学校を卒業して大正13(1924)年にフランス語教師となるも2年で辞職、その後はアンドレ・ジッドの翻訳等を手掛ける。昭和10(1935)年『佳人』で作家として出発した後、『普賢』(1936)等を続けて発表。13(1938)年『マルスの歌』は反軍国的思想のため発禁処分を受けるも、『白描』(1939)等の作品や批評を書く。戦後は『焼跡のイエス』(1946)等により無頼派と呼ばれる。