戯曲家、評論家。哲学を志し一高に入学、哲学者・西田幾多郎の『善の研究』に感銘を受ける。大正2(1913)年結核にかかり療養生活を送るが、5(1916)年から翌年にかけて白樺派の衛星誌『生命の川』に戯曲「出家とその弟子」を発表。同書は当時のベストセラーとなり世界各国で翻訳された。その後は白樺で活躍し、10(1921)年に随筆『愛と認識との出発』を刊行、人生を求道的に考察した。晩年は日本主義に傾き、大乗的生命主義を説いた。
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