明治27(1894)年、叔父の森村市左衛門の商社森村組に入社、翌年渡米し、白色硬質磁器の研究をする。帰国後37年に日本陶器(後のノリタケカンパニーリミテド)を設立、大正6(1917)年に東洋陶器(後の東陶機器)、日本碍子の社長。国産ディナーセットや高圧硝子、衛生陶器などを開発し、日本の窯業発展に大きく貢献した。