小説家。明治41(1908)年徳田秋声に師事し、早稲田大学の聴講生となる。大正元(1912)年広津和郎らと同人雑誌『奇蹟』を創刊、その創刊号に「哀しき父」を掲載。遅筆のための貧窮と病苦を紛らわす酒によって敗滅の相を深めていくが、その姿を素材にした私小説作家として文壇に認められた。
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