早稲田大学卒業後、南満洲鉄道、鉄道院を経て、根津嘉一郎の薦めで佐野鉄道(後の東武佐野線)の再建に従事し、高野登山鉄道(後の南海高野線)支配人となる。欧米視察後の大正9(1920)年、東京地下鉄道を創立。昭和2(1927)年日本初の地下鉄として上野・浅草間を開通させた。五島慶太の東京高速道路との経営権闘争の末、鉄道省の仲裁によって昭和15(1940年)年地下鉄経営から退いた。