漢学者。阪谷芳郎の父。幼時より漢学を修め、大塩平八郎の塾に入門、後に江戸に出て昌平黌に学び、塾頭を務める。嘉永6(1853)年郷里の郷校・興譲館で維新まで教育活動に専念する。明治4(1871)年東京に転居し、政府の官吏として出仕。6年明六社に参加。11年東京学士院互選会員。
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