父は阪谷朗廬(儒学者)。東京英語学校、大学予備門を経て、明治17(1884)年東京大学文学部政治学理財学科卒。同年大蔵省入省。主計局長、大蔵次官を務めた。39年1月から41年1月までの間、第1次西園寺内閣蔵相の任にあって日露戦争時の財政処理・戦後経営に手腕を発揮した。45年から大正4(1915)年まで東京市長、6年から昭和16(1941)年まで貴族院議員(男爵議員)を歴任。専修大学の学長も務めた。法学博士。渋沢栄一の女婿。