はやし 洞海 どうかい

生没年
文化10年3月3日 〜 明治28年2月2日
1813年4月3日 〜 1895年2月2日)
出身地
福岡県
職業・身分
医師・薬剤師等
別称
彊(名)、健卿(字)、梅仙、存誠斎(号)

解説

蘭方医。豊前小倉に生まれ、江戸に出て足立長雋の門に入り蘭医学を学ぶ。長崎に佐藤泰然と共に遊学しオランダ商館長のニーマンに師事、その後開業。小倉藩医から幕府医官となり、明治維新後は静岡藩沼津病院副長を務めたのち、明治政府に出仕。大阪医学校(後の大阪大学医学部)校長、皇太后侍医等を歴任。

関連資料

自筆資料

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はやし 洞海 どうかい

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