蘭方医。豊前小倉に生まれ、江戸に出て足立長雋の門に入り蘭医学を学ぶ。長崎に佐藤泰然と共に遊学しオランダ商館長のニーマンに師事、その後開業。小倉藩医から幕府医官となり、明治維新後は静岡藩沼津病院副長を務めたのち、明治政府に出仕。大阪医学校(後の大阪大学医学部)校長、皇太后侍医等を歴任。
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